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明治から訳あって夫婦岩となる

二見ふたたびプロジェクト

男岩を『立石』
女岩を『根尻岩(ねじりいわ)』

男岩を『立石』
女岩を『根尻岩(ねじりいわ)』

夫婦岩とは近年からの名称

本来は興玉神石を遥拝する為の、「鳥居的役割」だった夫婦岩。
音無山の立石(たていし)岬に連なる岩礁の一つです。

正式には、男岩を「立石」女岩を「根尻岩(ねじりいわ)」と言い親しんできました。
夫婦岩と呼称する様になったのは、明治以降であり、明治44年(1911年)皇后陛下による参拝をご記念して発行された「伊勢行啓図会」でも『立石または夫婦岩ともいい』と紹介されているのです。

夫婦岩は興玉神石の遥拝場

現在、夫婦岩をお守りする二見興玉神社の「二見興玉神社由緒」によると、
「垂仁天皇の御代、皇女倭姫命、天照皇大神の神霊を奉戴して此の二見浦に御船を停め神縁深き猿田彦大神出現の神跡である海上の興玉神石を敬拝給う。」

と記されている故に、1854年の安政大地震で興玉神石が海没する前後まで、参拝者は夫婦岩(当時は立石)よりも、興玉神石を畏み遥拝していたことでありましょう。現在は夏至の日の出や、冬至前後の満月の出を遥拝する等、年間280万人程の参拝者が二見浦を観光しておられます。