興玉神石と音無山を紐解く史実②
国重要文化財「賓日館(ひんじつかん)」
音無山の麓に位置し二見海岸と松原を前に、現在国重要文化財に指定されている「賓日館(ひんじつかん)」は明治20年(1887年)皇族の御休憩、御宿泊施設として開業され、明治天皇の皇太后陛下を始め、明治24年、皇太子嘉仁親王(大正天皇)は三週間も御滞在され日本初の海水浴場で御療養と訓練をなされたと記録されています。
以来、三笠宮崇仁親王、秋篠宮皇嗣殿下に至る52名もの皇族が御滞在され二見浦と音無山で癒されたのです。
そして皇大神宮の神苑(しんえん)「火除橋(ひよけばし)」の手前に今も尚、大きく聳(そび)え立つ「大正天皇の松」は、御療養後に御元氣になられた『嘉仁(よしひと)親王(後の大正天皇)』御自ら御手植えされた御神木なのです。
音無山はお月見の聖地
150年前まで日本の暦は月を中心とした「太陰太陽暦」で、神宮祭祀や生活の営みも一ヶ月の始まりを新月「朔日(ついたち)」とし、十五夜は満月(望月)と、月の満ち欠けに寄り沿って暮らしていました。
つまり月夜(夜)は一番パワーの出る時間帯であり、神宮でも「神嘗祭(かんなめさい)」と6月、12月の「月次祭(つきなみさい)」の三節祭は夜から始まり、これはかつての暦が「夜から始まっていた」からです。
因みにユダヤ教、イスラム教も、夜から始まり、世界最古の書「旧約聖書創世記1章」には「夕があり朝があった」と、やはり夕(夜)から始まると記されています。