日本神話と神宮史の舞台となる二見
皇女倭姫命と興玉神石
皇女倭姫命と興玉神石
二見(ふたみ)とは
聖武天皇(天平3年)731年6月18日の「太神宮諸雑事記」の文献には、二見郷長「石部嶋足(いそべしまたり)」の記事により「二見」が歴史に登場しております。
石部とは「磯部(いそべ)氏」であり、海女(あま)族として「興玉神石(おきたましんせき)」を海神として祀っていたとされます。この興玉神石こそが、日本神話と神宮史のキーワードとなるのです。
二見(ふたみ)の由来
二見の由来は諸説ありますが、「神風小名寄(かみかぜこなよせ)1690年」には「札見」とあり、天照大御神さまによって祝いの金の札が天上より舞い降りてきたのでは、という説や、伊勢神宮から海へと下る際、五十鈴川が左右二つに別れる川を見て「二水」と呼ばれるようになったという説があります。
それ以外でも、景勝地であるため「倭姫命さまが素晴らしい景観故に二度も振り向いた」という言い伝えもありますが、二見での滞在期間は僅かだったとも思われるため、もし五十鈴宮(今の神宮)へと向かう際に二度振り返ったとしたならば、興玉神石の鎮座する「海」と御神体である「山」を、名残惜しく見られたのではないかと思うのです。